人間は本能的に快適であることを選択するようにできている。
直感的に生きている人ほど、快適であることの欲求に抗うのは難しい。
しかし「自分の道」を持っている人にはその快適さは通用しない。
今快適でない選択をすることで、後で快適になれるよう計画し実行しているからだ。
無計画であればあるほど、目の前の欲求に弱くなる。
私は20代の終わりに第一段階の体力の衰えを感じた。その頃から「60代、70代になって血気盛んな武術家の攻撃をひょいひょい捌くようになっていたい」と思い、スポーティーな側面とともに精妙な武術の側面両方を追求してきた。いってみれば老いへの準備を始めたのだ。
私は今年の12月で49歳になりますが、実感として第二段階の体力の衰えを感じています。いよいよ一般的には初老と呼ばれる年頃になってきて、今はスポーティーな側面をこの20年以上にしっかりやりたいと思っています。
「達人ほど運動不足になる矛盾」というのを冗談めいて昔から言っていましたが、なんというか、精妙な武術はしっかり相手に刺さっているときは楽なんです。楽すぎて努力をしなくなる。でもそんな場面ばかりじゃないんですよ。理屈もへったくれもない、力技で押し切られる場面から遠ざかって、お決まりのメンバーでしか稽古しなくなるとそういう現実が見えなくなる。こわいことです。
その結果は廃用退行により精妙な武術は扱えるが、スポーティーな動きができなくなる老人の完成だと思い至ったのです。
「今楽なこと」に終始していては、後で取り返しのつかない結果を招くことになる。
「後で楽なこと、快適なこと」を迎えるために、今少しの快適さを封じて、その置かれた状況を楽しんでいこうではないですか。