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The way of the intercept
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それは惑わず?

Posted on 2022年6月6日 by deffic-yuji-tan

孔子の言葉に「四十にして惑わず」とあります。

人間40歳ともなれば些細なことで取り乱すこともなくなり、大人になるのだと。

しかし、40にして惑わずの「惑わず」は「本当の惑わず」なのでしょうか?

若い人と接していて思うことは自らの感性の鈍化。

人生を効率よく生きるために、一つ一つの小さな出来事を「よくある出来事カプセル」に入れて中身も見ずに簡略化し、処理しているのだと思うのです。

その結果「ああそれね」「はいはいこのパターンね」と特に感情を変化させることもせずに対応しているから、落ち着いた大人に見えているだけではないのか。

それは惑わないのではなく、直視しないようにした結果「心が揺らがなくなっただけ」ではないのかと。

また、喜怒哀楽に注ぐエネルギーがそもそも枯渇しているだけではないのか。

10代20代の若者達のように瑞々しい感性で、日々の些細な出来事に向き合って、喜怒哀楽を押し殺さず、その上で物事を適切に受け入れ、対処できることこそ、真の惑わずなのではないかと思います。

毎日見慣れた通勤路、いつかの景色で止まっていないですか?

本当にそれは昨日と同じ景色ですか?

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