優れた武術家、指導者には優れた観察眼があります。
そもそも武術の鍛練には内部観察が不可欠であり、内部観察がなければ重心も繊細な勁の流れも捉えられません。
緻密かつ繊細な内部観察を日々おこなっているから、相手の些細な変化やその奥にある二の太刀を捉えることができるのです。この感覚は質量の大きさ、速度など「より大きなもの」で蹂躙することができますが、そうしているといつまで経っても捉えることができません。捉えることができないから「それは無意味なことである」と切り捨てたくなるのが人情ですが、それは「より大きなもの」を扱えなくなった時の可能性を閉ざすことであると私は考えます。
私は指導する際に、見本を展示した後に生徒の観察を優先しておこないます。
繰り返し動くことをさせながら、大きく逸脱する場合にはその時に理解できる一つか二つの大雑把なガイドを設け、それを逸脱しないように伝えます。
そうして反復させながら、本人が違和感を持つ瞬間を待ちます。「何かが違う」「どうしてだろう」と疑問を掲げた瞬間を逃さず、それを解決するためのヒントや構造の解説をおこなうと「腑に落ちてくれる」のです。
情報に溺れさせてもいけない、画一的になってもいけない、独りよがりは以ての外で、観察と根気、愛情がないと向き合えない。
武術家にも指導者にも、観察という行為は重要なのです。