行いを見守り、失敗を「取り返しのつく範囲で経験させる」事が人の成長につながります。
初挑戦であっさりできてしまった物事は、結果の表出としてはポジティブですが「トライアンドエラーによって創意工夫をすることの機会を失った」というネガティブな要素も持ち合わせます。
自らのまだ見ぬ可能性の一旦や、追い詰められそうな時に見せる自分の振る舞いなどを認識する事ができなというのは、自分を正しく認識する機会を失う事になるのです。
可愛い子には旅をさせろと言いますが、全くもって至言ではないでしょうか。
人を育てるにはコストがかかります。それは時間であったり、お金であったり、心の裁量でもあります。折角育てた子や門下生が自分の元を離れて違う道に進む事もあるでしょう。しかし、それを送り出してあげられないのなら、先を行く者として未熟で、心が貧しいのだと自覚する必要があります。(寂しいと感じる事と、この先の旅路を祈れない事とは同一ではありません)
最初から正解を用意し、それに沿うことこそ正義とした場合、人はその「正解を正解とするための生贄」になります。また、自らが正解の担い手であったから継承者にも正解を押し付けることは負の連鎖であり、エゴでしかないと私は強く思います。
人それぞれに見えている世界は違う、その違いも飲み込んで見守ること。
教えるのは正解ではなく、問題への向き合い方。
それが先を行く者としての責任ではないでしょうか。